【 神傳不動流史論 (抄) 】
孝謙六甲年午[註・孝謙天皇の御宇・天平勝寶6年(西暦755年)]一月、大伴古麿、唐より帰朝す。古麿、唐手術を唐の僧・鑑真をして講ぜしむ。
後、真和年間、唐の殷王旭輪の臣孫・仁師季義と言ふ唐手の達人に於て、之れを卜部宿禰兼貞に傳授せらる。
兼貞、鞴韜(たたら)神伝に之を取入れ打拳術(やはら)と称す。
兼貞、力衆に選れ、剛勇にして手刀を以て石を割ると言はる。
此の打拳術は、虚実の虚を主として変化術として拳・手刀・頭指・五指・平手・両足の活動に依って敵の体を破って倒す術である。
大伴古麿三代の孫、大伴宿禰国代、淳和天皇御諱を避け、伴朝臣国氏と改め唐手術と神伝鞴韜の術とに依って伴神伝体術を起こせり。
然れ共、当時の体術は敵に姿を晦ますに必要とする技なりしが、堀田正道出で始めて護身的止むを得ず敵に投げられて逆に敵を倒す、敵に捕へえられて逆に敵を捕押へる技が工夫せられ、最も此の技の熟達せられて、堀田正道、正神不動流と称す。(中略)
堀田正道は出雲の士なり。此れ代々一子相伝せらる。
名和長年一族、皆天津鞴韜馗秘伝せられ、不動流を学べり。
伯耆国大山、名和神社宮司・重村正秀、元禄十五壬申年[註・西暦1702年]十八才にして文武の達人として名あり。
正秀の祖先は、延元三年[註・西暦1338年]五月二十二日、尊氏と戦い討死せり名和一族、重村掃部允五郎兵衛尉が弟、五郎兵衛正種の十二代の末孫にして、家伝たる『鞴韜彪底之巻(神祕豹変之巻)』一子相伝を得たる者にして有名なり。
後、武者修業を思立ち諸国漫遊、下野国・宇都宮に於て農家に一泊。其の家の息、十八才なる善平と言へる者の凡ならぬ眼光・態度に感じ、武道を教ゆるにはたせるかな、一を教へ十を悟るの才智にして、善平少年を連れて又諸国修行す。
出羽朝日岳、鼠谷に於て吉平と言ふ少年、小石を以て小鳥を打落すを見て感じ、此の少年・吉平も門人に加へ伯耆国に帰り、三年後、両青年に極意を伝授す。
善平、宇都宮に於て福井兵右衛門善平と名乗り、神道無念流と称し、剣槍体術の祖師となり、吉平は朝日奈五郎吉平と名乗り、神伝不動流の祖師となり、剣棒槍体術を世に広む。
つづく
【 技 法 】
| 五つの構 | ||||||
| 座 構 | ||||||
| 平一文字構 | ||||||
| 青眼之構 | ||||||
| 左青眼之構 | ||||||
| 自然構 | ||||||
| - | ||||||
| 初傳形 | 表13本 | (裏三本) | 全52本 | |||
| 片胸捕 | 松 風 | 龍 虎 | 下段掛 | 腕 折 | 鬼門捕 | |
| 人中投 | 衣 返 | 阪 落 | 左谷投 | 片手落 | 逆 投 | 極楽落 |
| - | ||||||
| 中傳形 | 表11本 | (裏二本) | 全33本 | |||
| 風 雪 | 玉 落 | 雨後月 | 乱 捕 | 月 輪 | 小蝶捕 | 笠 拂 |
| 鶴 声 | 霞 掛 | 両 翼 | 写 鳥 | |||
| - | ||||||
| 奥傳形 | 表 9本 | (裏五本) | 全41本 | |||
| 柳 風 | (襟締型) | |||||
| 剛者捕 | (胴締型) | |||||
| 手 当 | (当 型) | |||||
| 雁 下 | (捌 型) | |||||
| 龍 巻 | (逆 型) | |||||
| 風呂屋投 | (体 型) | |||||
| 水中試合之技 | (潜 型) | |||||
| 山 嵐 | (無刀捕) | |||||
| 梅 雪 | (大小捌) | |||||
| - |
| 免許之巻 | ||
| 当込秘法 | 32法 | |
| 活法秘法 | 8法 | |
| 生死観法 | 11法 | |
| 含 薬 | 3法 | |
| 勝身之法 | ||
| 八方投 | ||
| 霞之法 | ||
| 無名文 | ||
| - | ||
| 皆傳之巻 | (一子相傳之極秘) | |
| 『畏寶神祕豹変之巻』祕文 | ||
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