西岡常夫師範の杖を語る
石 田 博 昭
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西岡常夫師範は、清水隆次先師が亡くなる前に「このままでは自分は唯の棒振りを作っただけとなる」「杖は生きて居る」「何とか生きた杖を伝えて欲しい」と語られたお言葉を継承すべく「清隆會」を結成し、齢80歳を越える今尚、身を以て後進のご指導に当られて居ます。 その先生の遣われる杖について、私なりの所感をここに述べさせていただきます。 平成20年2月1日記 |
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西岡師範の免許状 |
A『西岡常夫師範は免許皆伝ではない。五夢想を習って居ない』と言う誤解に対して
西岡師範は「昭和50年5月、京都にて清水隆次克泰先生・乙藤市蔵勝法先生のお二人から五夢想の杖五本〈秘伝〉を伝授され、免許皆伝を許される」と、そのご経歴にある如く、正式な免許皆伝者です。
ある人は「西岡はその場に居ただけだ。伝授は受けて居ない」などと申されて居るそうですが、凡そ武の世界に於いて、究極の技は「見せることは教えること」と言うのは常識であり、その場に居たことは教えられたことになると思います。
ましてや、免許を授けた者に対して同席を許すと言うことは、伝授したこととなるのは当然のことでしょう。
これは、乙藤市蔵師範と西岡常夫師範との往復の全書簡を拝見させて戴きましたが、確かに乙藤先生も認めて居られます。
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清水隆次・乙藤市蔵師範より、五夢想を伝授された折の記念写真 後列左より、広井常次・米野光太郎・西岡常夫の各師範 |
実際に、西岡師範より五夢想を伝授されて見て、僭越ながら、これは間違いないとの感が致します。
この五夢想の杖と太刀の遣い方を心得てこそ、神道夢想流杖の正しい打太刀と仕杖を示すことが出来ると思います。
B『西岡常夫師範の杖歴に10数年のブランクの期間がある』と言う誤解に対して
西岡師範は、昭和13年に清水隆次師範に入門されましたが、ご修行の当初から常に清水隆次師範のみと稽古して居られました。
全剣連杖道(当初は全剣連制定形)制定当時も直接関与はして居られませんでしたので、そのような噂も流されたかとも思われますが、神道夢想流杖に関してブランクの期間は全くありません。
つまり、10数年のブランクがあると言って居る人は、全日本剣連連盟杖道に関してのことであり、神道夢想流杖に関しては当てはまらないと思います。
このことは、逆に全剣連杖道に影響されて居ない、純粋の神道夢想流杖の伝承者であることの証明にもなります。
又、範士八段を授与されながら、全日本剣道連盟から身を引かれたのも、全剣連杖道の変貌を憂い、清水師範の杖を教え、伝えんとの強い想いからとられた行動です。
更に、ブランク云々と言うことよりも、西岡師範の杖と剣の技量と境地が、現在如何なるものかと言うことの方が重要であり、この問題は本末転倒の偏見だと思います。
批判する前に一度、西岡師範の技を謙虚に学ぶべきでしょう。
将に「目から鱗が落ちる」真の神道夢想流杖にめぐり会えるものと確信します。
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では、次に西岡師範の神道夢想流杖について所感をのべさせて戴きます。 |
2、西岡常夫師範の杖を語る
@引落打について 平成20年4月1日記
西岡常夫師範は常々「自分はいつも清水隆次先生の杖がどうであったか。どう遣われたかを教え、伝えたいと願うのみである」と申されて居ますが、その西岡師範の遣われる杖は、現在の杖道界にあっては異色のものであり、或いは異端とも評価されて居ます。
然し、そのご存在は杖道界ならず武道界全体にとって、非常に貴重な宝とも言えるものなのではないでしょうか。
何故なら、その遣われる杖の打ち筋、太刀の太刀筋こそは、日本剣術の祖流・神道流剣術の太刀筋をみごとに伝えて居ると思われるからです。
この太刀筋は、今や現代の武道界において、凡そ忘れ去られてしまったのでは無いかとさえ思わせるものですが、西岡師範はそれを将にそのまま生きた技として、神道流剣術・神道夢想流杖として体現して居られます。
その第一の例が引落打です。
神道夢想流杖の形で、最後に打太刀が仕杖に対して正眼に構え、仕杖が杖で太刀を打つ形が多く有ります。
この動作は何を意味して居るのでしょうか。
初心の頃は、唯、太刀を思いっきり打ってぶっ飛ばす技だと思って居ましたが、正眼に構えた太刀を打つことは、相手が素人であれば可能でしょうが、少し遣い手ならば簡単に外されてしまうことは、殆どの方が経験されて居ることでしょう。
実際、私も二十代の頃、或る剣道の先生に、中段に構えた太刀を打つのは、このように直ぐ外れるよと、何度も外されました。
その時、先師・濱地師範に尋ねましたところ、「太刀を打つから外されるのだ」とのお答えを戴きましたが、何分にも未熟極まりない時代、その意味も分らず、太刀が構えた瞬間を狙って打てば良いなどと、疑問を抱きながらも稽古を続けて居りました。
西岡師範の見解は見事でした。
「構えた太刀を打つのではなく、打太刀の切り下ろす太刀を切り落として勝つことを示して居る。これは一刀流では切り落とし、新陰流では合し打ちと言って居る」との解説でした。
これは、古い神道夢想流杖の形は、最後に打太刀と仕杖が上段で切り結んで終わる形となって居たと聞いたことと相通ずるものであり、稽古用の木刀ではなく、真剣若しくは刃引きを使っての形ではこの様になるのは首肯出来ることであります。
現在、我々が行なう木刀を使っての形では、この切り落としの稽古として、刀の試し切りと同じく、正眼に構えた木刀を打つことにより、切り掛かって来た太刀を切り落とす修練をして居るのであるとの西岡師範の見解は、将に当を得て居ると申さざるを得ません。これで、私の長年の疑問も晴れました。
確かに、この一打こそ究極の一手、一刀流も新陰流も、そして神道流も、またあらゆる流儀も、この一手の修練こそ一大事とされて来たはずです。
故に、この一打をこそ現代の杖道人は身につけるべきものであると提言します。
これなくして、生きた杖はありえず、清水隆次師範の杖に至ることは出来ないものと確信します。
然し、この一打を会得するまでには大変な修練を要します。
私自身、西岡師範に何度も何度も修正をして戴き、修理固成すること20年、不熟ながらやっと身についた感がする程度です。
この打ちは引落打ばかりでなく、本手打・逆手打においても同じ打ちを行ないます。
そして、鹿島神宮に伝えられたとされる兵家帳中の祕伝『龍虎二巻』と共に伝えられる「一│十卍◯(いっこん・じゅう・まん・えん)」の口伝も将にこれを教えたものであり、これは又、日本神道の祕鍵『布斗麻邇御霊(ふとまにのみたま)』の武術的展開であると言うことが出来ます。
神道流流祖・飯篠長威齋は鞍馬の武芸者が香取・鹿島両社参拝の途次、試合を挑み、その中で師と仰ぐべく達人の帰路を待って教えを受け、修行惨憺の末、開悟され一流を立てられたと伝えられて居ますが、その元となったものは、鞍馬の武芸者から伝えられた鞍馬神伝の兵法であったろうと推測されます。
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鬼一法眼から源九郎義経に与えられた免状巻物(筆者蔵) |
その鞍馬神伝の兵法とは、鬼一法眼が当時、牛若丸であった源九郎義経に伝授したとされるもので、天眞正伝・天眞伝・天眞兵法と言われる日本神道の祕伝の体現なのです。
このことに就いては、拙著『本朝武道論』にも述べてありますが、後ほど詳しく申し上げたいと思います。
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引落しの構えです。
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引落しの構えから杖を振り上げたところですが、体は正対し、左手は正中(大凡、乳の高さ)にあります。 杖は左手を中心に大凡45度傾斜して居ます。これが大切なところで、ここで杖を立ててしまうと杖の陰に隠れて打ちを行なうことが出来ず、単なる打つのみの動作になってしまいます。 ここからそのまま、45度に切下すように打ち下します。 |
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杖先は相手の鼻先を必ず通ることが大切です。 体は45度左向き半身になって、杖は相手に30度位の角度で打ち込んで居ます。 この時、杖の陰にわが身が隠れつつ、杖先は晴眼(眉間)を攻めて居ます。 これにより、自己を杖で守りつつ、相手の太刀を払い、相手の体を崩し、相手の気を挫くことが出来ます。これを三挫きと云いますが、この三つを同時に崩すところに杖の妙味があります。 これは新陰流の合し打ち、一刀流の一文字の打ちと同じ理合いです。 この時、相手は完全に気・剣・体が崩されて居ます。 |
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上の動作に続いてそのまま切下します。 |
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その後、右足を出しながら、打った杖の動線をそのまま元に戻って右本手に構えます。
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如何でしょうか。
本手打ち、逆手打ちも同じ動線を通ります。
この一見単純に見える打ちですが、西岡師範及びその教えを受けた方以外、これを行なって居る方は見当たりません。
この打ちこそ、清水隆次師範が伝えたかったものであると西岡師範は常に申されて居ます。
一般に行なわれて居る全剣連杖道は現代剣道(竹刀競技)の影響を少なからず(かなりかも)受けて居り、この動きを主として身につけた方の杖術は、神道夢想流杖を行なう時でも、形は同じ様に行なっても、その刃筋(杖も刃筋を意識して遣いますが、これに就いては後述します)が異なって居る為、かなり異質のものになって居る可能性があります。
実際、ある古流剣術家から神道夢想流杖を習ってみたが面白いところが無かったと云われた折、その理由を聞いて見たところ、動作の順番のみで、剣術に一番肝心な合し打ちや一文字の打ちの様な理合いが教えられて居ないことだと云われたことがあります。
西岡師範は常に、本手打ち、逆手打ち、引落し打ちが最も大切で、その合し打って勝つこと、これこそが杖の極意だと申されて居ますが、将にその通りであると思います。
そして、この「常に太刀の陰に隠れて技を行なう」その打ちを西岡師範は見事に体現して居られます。
全く無駄な力が抜け、どこにも力みも無く、唯すらすらと行われる熟練の動きはまさしく米国人の或る門人がa
saint(聖者)と賛嘆した程です。
その西岡師範の動きをよく見てみますと、肩甲骨と胸郭の開合の動きをごく自然に使われて居ることです。
神道夢想流杖64本の最後の形は「あうん」ですが、この「あうん」、つまり「あ(阿)」の開、と「うん(吽)」の合とを身をもって示して居られるとも云えます。
この西岡師範の動きは、単に打ちのみに留まらず、杖の全ての動作に於いて展開されて居ます。
返し突、逆手突、巻落し、繰り付け、繰り放し、体当り、突外し打ち、胴払い打ち、体外し打ちなど、基本技に於いても全て自然に肩甲骨と胸郭の開合が行われ、無理なく技を行なって居られるのは実に70年に亘る修錬の賜物と敬服せざるを得ません。
何と云っても現在の杖道界では最長老の師範です。心ある方は是非、西岡師範の動きを一度ご覧になり、謙虚にその教えを受けられることをお薦め致します。
B手の内について 平成21年7月1日記
手の内に就いて、本手と逆手の区別を西岡師範は強く主張されて居ます。
これは、杖のみならず剣に於いても、又、あらゆる武器術に就いても共通の原理なのですが、現在の武道界をみてもこの区別を明確にその技を行なって居る方は非常に少ないと思われます。
神道夢想流杖に於いても、最も大事な基本技に、本手打ちと逆手打ちがありますが、この区別をはっきりと認識して遣われて居る方は清水隆次・乙藤市蔵両師範門下の師範では、残念ながら西岡師範以外見たことがありません。
神道夢想流杖の母体は神道流剣術ですから、丸い杖を遣っても当然、刃筋を意識した手の内になるのが正しいと思われるのですが、それを意識した遣い方が忘れられて居るのが現状です。
たとえば、一般には本手打ちと逆手打ちの違いは、前の手の持ち方を替えただけの遣い方を行なって居ます。
然し、本手打ちと逆手打ちは前の手も後ろの手も手の内が違うのです。
これでは、折角の神道夢想流杖の微妙な遣い分けは不可能です。
下の写真を見てください。
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これが本手の持ち方 両手とも両掌の生命線に沿って握られて居ます 調理人が包丁を捌く時の手の内 柔らかく自由に遣うことが出来る 柔らかく伸びのある自在な打ちを行なう |
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これが逆手の持ち方 両手とも両掌の頭脳線と感情線に沿って握られて居ます 体操選手が鉄棒を握る時の手の内 強靭な遣い方をすることが出来る 強く重みのある強靭な打ちを行なう |
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本手は両手とも両掌の生命線に沿って握ります。 逆手は両手とも両掌の頭脳線と感情線に沿って握ります。 |
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繰り付けの構えも、前の手は本手、後ろの手は逆手となります。 |
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私も25年以上前、先生からこの遣い方を示された時、これまで行なってきた遣い方と異なって居た為、正直違和感を覚えました。 |
そこで先生に「一般的に行なわれて居る方法とは違うのですが」と質問したことがありました。
その時、先生は「清水先生から私はこのように教わった。前の手を額に着けるのは、そうすることに依って、額を支点にして杖を角の様に遣うことが出来る。現在はこの遣い方をして居る人は居ないので、是非これをしっかり覚えて欲しい」と申されました。
そう言われてみれば、それを信じて行なうのみと、その通り行なって見ると成る程、先生の言われる通りで実に理に適って居る遣い方であることが判りました。
こんなに素晴らしい遣い方なのに、何故もっと一般的に普及しなかったのかと残念に思いましたが、恐らく清水隆次師範は身長が低かったので、身長差のある人と稽古をする際、額に手を着けることが困難な為、頭上に手を上げて遣って居られたことと、教える相手により違う教え方をされて居た為だろうと勝手に解釈して今日に至って居ます。
勿論、頭上に手を上げて遣っても、前の手を支点にして遣うことが出来れば問題はないのですが、前の手を額に着けた方がより確実に技が行なえるのも事実です。
然し、実際にこの遣い方を習得するのは結構難しい為、西岡師範門下でもこの遣い方を習得されて居る方は少なく、自然と現今行なわれて居る両手を頭上に上げて行なう方法を行なって居るように思われます。
扨、この構えから、繰り付け、繰り放し、体当たりの技に入りますが、神道夢想流杖に於いて、繰り付けの技は、表の太刀落し・鍔割・引サケ・霞の繰り付け、中段の一力・押詰・待車・真進・横切留の繰付け、乱合の繰り付け、影の着杖・引サケ・笠の下の繰付け、五月雨の一文字・十文字の繰り付けがあり、繰り放しの技は乱合・五本の乱、体当たりの技は表・中段・奥の技に見ることが出来ます。
先ず、基本の繰り付けに就いて述べて見たいと思います。
一、繰 付 け ( 基本動作 )
| 前から見た動き | 横から見た動き | |
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常の構えから体を左に捌き、左手で杖先を取る。 |
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この打太刀の手甲を下から打つ動作の後、杖先を相手の目に付けます。 | |
| 打太刀の手甲を打ったところ。この後、直ちに杖先を相手の目に付けてゆきます。 | ||
| 杖先を相手の目に着け、相手を攻めます。 以前、乙藤市藏師範に全剣連杖道と神道夢想流杖との違いに就いて伺ったことが有りますが、その際「何も変わって居ない。唯、全剣連杖道は普及する意図もあるので、手甲を打つことと、杖先を目に着けることの二点を変更し、杖は太刀の中柄に入り、杖先で目を攻めない様にすることを全剣連杖道制定の折、清水隆次師範より提案され同意したのみであり、あとは神道夢想流杖のままである」とお答え戴いたことがあります。 |
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次に、左肘を下へ下し脇を締め、杖の影に隠れるようにして杖先を円錐状に動かして繰り付けます。 こうする事によって、太刀に切り込む隙を与えなくすることが出来ます。 ここから実際には、杖先を跳ね上げて相手の顔面を攻める動きが隠されて居ます。 |
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| 次に、逆手に構えます。 | ||
| 前の手を取り直します。 | ||
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前に出て常の構えとなります。 |
この繰り付けの際も、前述の如く、常に杖の蔭に隠れて技を行なうと言う神道夢想流杖の原則通りの動きを行ないますが、西岡師範は手先の力で行なうのではなく、肩・肘をらせん状に上手く遣うことに依り、相手の太刀に切り付ける暇を与えることなく、気・剣・体を崩して円錐状に繰り付けてしまわれます。
この動きは、杖で行なう(やわら)の技であり、力任せに行なったのでは相手に抵抗され技は掛りません。
柔の技と言うのは全て「柔能く剛を制す」と言われる如く、こちらの身体は柔らかくして置いて、相手が力を入れたり逆らったりするところに随って技を行なうもので、争ったり戦ったりすれば自ずから破れてしまうことを相手に知らしめるものなのです。
そして、これを杖で以て行なうのが繰り付け・繰り放し・体当たりの技ですが、杖と言う得物を持って居る分、数段難しくなります。
上掲の基本の繰り付けは表の形で遣われる繰り付けですが、これ以外に中段や影・五月雨などの繰り付けの技も、常に杖の蔭に隠れて技を行なうことと、円錐状に繰り付けることに依って、打太刀に切り込む隙を与えないことは全て同じです。
又、中段の繰り付けでは、一力・押詰の繰り付けと、真進の繰り付けとは遣い方が異なることに就いても西岡師範は明確に示されます。
| 一力・押詰の繰り付けでは、繰り付けの構えに入った後の動きが乱合・真進とは異なります。 | |
| 身体を左方にそのままの姿勢で移動し、杖先を打太刀の中柄のところまで移動させます。 西岡師範は、この身体を左方に移動させる動作が重要な動作であり、若き頃、清水隆次先生から何度も何度も稽古させられたと話されます。 |
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| そこから体を相手に向け、杖先が相手の正中を通りつつ水月に着けるように繰り付けます。 この繰り付けは、今は西岡師範以外見たことがありません。 そのことに就いて西岡師範に伺うと、恐らく皆学び損ねて居るのであろうと申されました。 |
次に繰り放しの技に就いて述べて見たいと思います。
中段・乱合で遣われる繰り放しの技も、杖で行なう柔の技であり、打太刀の手甲を下から打つ動作の後、杖先を相手の目に着け、打太刀を我が左前方に崩して、放り投げる技です。
ところが、現在はこれを相手の後方に繰り放す様に遣って居る人が殆んどです。
然し、私も40数年前、濱地光一先生にご教示戴いたのは、相手の右後ろ、つまり、我が左前方に繰り放す方法でした。
| 繰り付けの構えから、繰り放しに入る前の姿勢。 | ||
| 左脇を締めつつ左肘を落とし、右手を左前方に送りつつ手幅をやや狭めることを同時に行ない、左前方に繰り放して居る姿勢。 この時、杖先は相手の頭上より下げないようにします。 |
これが、いつの間にやら相手の真後ろ、我が前方に繰り放す様になってしまい、それが現在では一般的な方法となって居ます。
私もご多分に洩れず、いつしか相手の後方に繰り放す方法をとってしまって居ましたが、25年程前、西岡師範から繰り放しを教えて戴き、濱地師範から最初にご指導戴いたことを思い出しました。
よく考えて見れば確かに、打太刀の動きからして、相手の後方に繰り放すのは無理があり、やはり我が左前方に崩す方が柔の理からしても無理がなく、且つ理に適って居ます。
何故、現在の様になってしまったのか、多人数で稽古する際、隣とぶつかってしまうことを避ける為からなのかは不明ですが、やはり繰り放しは我が左前方に放るのが古来の方法だと西岡師範は申されます。
勿論、五本の乱の繰り放しは相手の後方に崩す遣い方をしますが、これは中段・乱合の繰り放しとは別の体当たり的な遣い方をします。
三、体当たり
| 繰り付けの構えから、体当たりに入る前の姿勢は同じです。 | |
| そこから相手の太刀を摺り上げるようにして、相手を上方に崩します。 この時、下の手は相手の水月、上の手は顔面の高さとしますが、未だ相手の身体に触れて居ません。 |
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| 右足を少し踏み込みながら、先ず下の手で相手の水月に当て込みます。 | |
| 次いで、上の手で相手の顔面を当て込むようにしながら、相手を後方に飛ばします。 | |
| 逆手の構えとなります。 | |
| 前に出て、常の構えとなります。 |
以上が、西岡師範の体当たりですが、相手の太刀を摺り上げて崩した後の当てが二度当てとなって居ることが大切です。
人間の身体と言うものは、一度の当てに対しては防御反応が可能ですが、連続した二度の当てには防御反応しにくいものです。
これは古流の体術などに当身の口伝として残って居ますが、神道夢想流杖はこれを杖で以て行なって居るのも、その奥の深さが窺われると言うものです。
以上、西岡師範の繰り付け・繰り放し・体当たりに就いて述べましたが、これらの技を明確に体現される西岡師範の杖を我々後進は大切にしたいと思います。
D返し突きについて 平成22年2月記
西岡師範の杖の特徴にもう一つ、返し突きの足が有ります。
この足捌きも神道夢想流杖の大切な足遣いだと西岡師範は申されます。
| 本手の構えから杖を返したところ。 体は真横を向き、両足は小趾側で立って居ます。 |
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上の足の部分を拡大したところです。 両足を交叉させ、ジャッキの様に柔らかく遣うのだと西岡師範は申されます。 |
この遣い方も、体術から来る足遣いですが、現在、西岡師範以外やって居られる方は見当たりません。
この様に、古流武術には細かな口伝があるのですが、その意味も分からず、安易な動作に流れて行ってしまって居る現状を見るにつけ、古流の法が次第に消えて行く危惧感と、その伝承の難しさを感じます。
その思いから、この清水隆次先生から伝えられた素晴らしい杖を一人でも多くの方に学んで欲しいと、西岡師範自ら学ばれた神道夢想流杖の伝承を清隆會として托されたのです。
E後の先について 平成22年2月記
最後に、西岡師範が常に仰って居る「神道夢想流杖の技は常に後の先である」と言うことに就いて述べて見たいと思います。
凡そ、あらゆる兵法に於いて先に手を出すと言うことは、破れの原因を作る下策であり、先ず相手の動くのを待ってこちらが動くと言うのが定石です。
日本武道に於いても然りで、特に日本武道は「養正神武」と言って、むやみに戦いをせず、何度も何度も相手を言(こと)向け和(やわ)して説得し、それでも改めない非道なものに対しては、やむなく成敗する為の神事として武を行なったものであり、その場合でも常に相手を尊重し、「やあやあ、我こそは・・・」と自分の出自や姓名を名乗り、正々堂々と戦さをするものなのです。
これは相手を無暗やたらに暴力を以て滅ぼすのではなく、武を以て相手の身魂を正道に立ち返らせると言う神聖なる愛の精神、慈しみに満ち溢れた神武の神事を執行するものであると言うことが出来ます。
神武とは、おのれの欲望を満たす為に行なう暴力的戦いではなく、修身・齋家・治国・平天下の身魂齋(みたままつり)であり、弥栄の為の生栄(いくさ)のことを言います。
神道夢想流杖の目録にある道歌「疵つけず人を懲らして誡むる教えは杖の外にやはある」の精神もここにあります。
その為の実際の技として、決して自ら先に手を出すことなく、相手の仕掛けるのを待って後に技を出すと言う兵法の原則通りの法になって居るのです。
西岡師範は常に申されます。
「相手をよく見ること、相手が切って来るまで我慢すること、先に手を出さず相手が切って来てからこちらが技をだすこと、この三点を常に心掛けることが大切であり、そこに神道夢想流杖はあるのだ」と。
| 引き落とし打ちを例に取ってみます。 打太刀が切り掛かる機を仕杖はよく見ます。 |
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| 打太刀の切り掛かるのに少し遅れて仕杖は動き出します。 然し、これが中々難しく、つい先に動いて仕舞います。 先に動くと、逆に太刀に乗られて切られてしまいます。 |
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| 打太刀が我が身に届く直前に太刀の上に乗るように打ってゆきます。 | |
| 打太刀の上に乗るようにして杖先を相手の目に付け制します。 この時、太刀は杖の左に外されて居ます。 これは、先に述べた新陰流の合し打ち、一刀流の切り落としと同じ理合いです。 (註) この写真は、わかり易くする為、間合いをやや遠くして演武して居ます。 |